ワールドカップ 2018 ベルギー戦

大前提:私のサッカー歴

普段サッカーは見ない。サッカー見るなら映画を1回見たいタイプ。だから、本当にサッカーについて話す視覚に無い身分だ。スタジアムなんて無縁の世界だし、ちゃんとコロンビア戦を見にエアチケットでロシアまで行く周囲の人の前でこんな話はできない。うん、僕は4年に1度現れるにわかってヤツ。。

 

ワールドカップの楽しみ

そんなにわかの僕だが、にわかのくせに4年に1度サッカーについて語るのが楽しみだったりする。どっかの力で若手のチャンスが!とか、それに屈した●●め!みたいなことも言ってはみたいけど、そこまで詳しくない。。だって見るのはベスト16くらいからだし。。日本戦、久々に見たし。

 

そんな私のワールドカップの楽しみは、ドイツ戦。。ドイツのサッカーが好きだった。今年妙に物足りないのは、もちろんそのドイツが予選敗退だったから。

 

役割が明確だったドイツサッカー

どうしてドイツサッカーが好きかと言うと、役割が明確なのが、、ベスト16以降で比較した限り一番明確だったのがドイツサッカーだったから。素人目にチーム全体が何をしたいか、何をすべきか、そして そのために各選手が自分のミッションに忠実な感じがした。

ちなみに、赤道そしてみなみはんきゅうに行くほど、個のプレイで成り立つスタイルになってるって仮説が僕の中にはある。。

僕を知る人は聞いたことがあると思うけど、ヨーロッパのサッカーが、漠然とだけど好きなんだよね。

 

所詮、サッカーは玉突きだ

ベスト16以降は、緩やかだけど見るようにしてる僕は、今回のベルギー戦で1つの確信を得た。サッカーは、所詮玉突きなんだって。。

そりゃ、にわかの僕だ。素人発言重々承知だけど、所詮、サッカーは玉突きなんだって!

 

ベルギーのプレイを見て、あの綺麗なフォーメーションをみて気づけた。サッカーってさ、ビリヤードにをより属人的にしたスポーツなんだよ。

選手は、キューとクッションの役割を追っていて、そしてその役割でしかないんだと思う。「でしか」なんて言ったけど、選手の役割は重大。自然の力に支配さたボールを生命線に、チームの目的に合わせて自分はキューとクッションと言う駒に成り下がりながら、うまく事が運ぶように自分を最適なポジションに置いて役割をはたす。見る人がみれだば理解されるキラープレイでもそうそう褒められる事なんてない。だってすっごく地味な技術より、カメラ映えするプレーの方がエンタメとしてのサッカーへ貢献してんだから。。それに飛びつきすぎてるのが先般の話だけど。。

ただ、エンタメとしてではなくゲームとして話すなら、サッカーは「属人的な」ビリヤードだ。ビリヤードでツールが担っている役割を人間課したゲームなんだ。

 

だからゴールに対してどれだけ合理的に玉をつけるかが、非常に大切なんだよ。ボールがここでこの速度で転がってるなら、チーム全体の現状の配置(クッションの場所)を一度視野に入れて、どの方向にどんな強さで玉を弾くかなんて正解は1つしかない。ゴールはあるんだかた、ける角度も方向も1つしか無いはずだ。

そこに対してカッコイイけど非生産的な一手を生んだやつはどうやっても批判されるべきだよ。カメラ映えはしても、周りを振り回すだけだからね。

 

綺麗なフォーメーションのベルギーサッカー

視野の違い、それが今回の勝敗を決めた一番要素なんじゃないかな。盛り上げるにはスターになる必要があるけど、勝つためにはどこかで自分を殺して駒に成り下がる瞬間が必要なんじゃないかな。

僕はギャンブラーじゃ無いけどさ、ギャンブラーの家系に生まれてしまった人間としては、エゴイスティックな人間が勝ちを望む時ほど、非常に謙虚になっていた姿を見てきた。だからさ、僕はこれを疑うことはできない。。